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情報過多の現代で「選ぶ」って、しんどい。by『武道館』

自分で選ぶこと、それが「正しい選択かどうか」なんて皆わからないんだな、と思ってしまった朝井リョウ著『武道館』。

この本が存在することは結構前から知っていたけれど、読んでいなかったのは「どうせアイドルの有象無象を面白おかしく書いてるだけでしょ」と思っていたから。
そして今回、読んでみようと思ったのはアニメ『推しの子』にハマったから。単純でしょ。

今回は、単純な読書感想文です。

 

「武道館」は、アイドルになるという夢を叶えた女の子がアイドルの立場で、売れること・メンバー同士の関係性・恋愛・未来の自分について悩むという結構ふつうに想像できるストーリー。
その中で一貫して話の軸にあるのは「自分で選ぶこと」と、「正しい選択はあるのか」ということ。

 

自分で選ぶ、ということ
主人公の愛子は、離婚した両親のどちらと暮らすかということ、アイドルになるということ、大学には進学しないことなど、あらゆる選択をしていきます。そして年齢を重ねるごとに、立場が変わるたびにその選択が「正しい」のか悩むようになる。選んだ道は間違っていなかったのか。ファンが、事務所が、メンバーが受け入れてくれる選択なのか。

けれど本当は万人ウケする「正しい選択」なんてものは存在しなくて、選んだ道を「正しくする」しかないということに気づきます。
メンバーの碧ちゃんの言葉を借りると、『正しい選択なんてこの世にない。たぶん、正しかった選択、しか、ないんだよ。何かを選んで選んで選び続けて、それを一個ずつ、正しかった選択にしていくしかないんだよ』。

私は田舎モノなので、東京にいるととんでもない数の情報が街にあふれているなと感じます。いたるところに、所狭しと上から下までびっしり情報が詰め込まれている。さらにその隙間を縫って新しい情報が入れ替わっていく。

正直、ちょっとしんどい。

ぜんぶ受容して生きるには、人間のスペックは足りないと思う。
そんな街で生活していると、自分で何かを選びとることってほとんどしていないのでは?と思ってしまいます。膨大な情報を得て、その中から現実味のあるものをメディアに勧められるままに選んでいる。「選ぶ」という名前のついた行為ではあるけれど、それは「選んでいる」のではなくて「消去法」になっていることがある。

そんな風に選んだものが正しいかどうかなんて、判断できるわけがない。一体だれの尺度で計ればいいのかいいのか考える前に、次の選択がやってくる。


でも、そういう時代なんだろうなと思います。
鮮度が命、切り口の鋭さが命の情報に食らいついていく必要に迫られる東京に暮らすのか、田舎に移住するのかを選ぶというのは、この時代に注目される選択のひとつかも、なんてことも感じます。

個人的な見解ですが、自分で選ぶという行為は、自分が欲しいものは何なのか、なぜそれが欲しいのかという根っこの部分を理解し、自ら情報収集をするというプロセスを含んだ上での「選ぶ」という行為だと思っています。
そうじゃないと、自分の選択に自信がもてない。思ったような結果にならないと、他人のせいにしてしまう(このへんは性格の問題がありそうだけど)。

 

どんな自分も、「自分」だということ
現役アイドルという立場でありながら、幼馴染で好きな人である大地と初めて身体を重ねる場面で愛子は「どんな自分も自分である」ということに気づきます。ステージに立っている自分も、好きな人と触れ合っている自分も、すべて「自分」であることに変わりない。誰に教えられるでもない、ほんとうの自分だと気づき、アイドルの自分とその未来を少しずつ違う角度でとらえ始めます。

二重人格、なんて言葉をよく聞くこともあったような。だけどそんなの全人類が該当すると思うし、なんなら三重も四重も平気であると思う。悪い意味ではなくて、それが生きるということで、すべて「自分」だと気づいたことが私にもあります。それに気づいたときから、体が軽くなった実感もある。

他人に理解を強要することでもないのであまり話題にあげたことはないけれど、まじめな人ほどそういう考え方にたくさん出会うべきだと思います。生きるのがラクになるから。

 

読書感想文、といいながら起承転結もなく書きたいことだけを書いてしまった。
多感な若者が主人公だからこそ描ける設定と気づきを、大人にも分けてもらったような感覚になれました。
いまの時代だからこそ「選ぶ」に向き合うというのも、良いのかもしれません。

私のアイドル応援時代は、ドームかホールでした。

私のアイドル応援時代の現場は、ドームかホールでした。